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Monday, November 26, 2012

もう一つの「A WILL」 #6.Amazing ft.C.T、KENSHIN

Tokyo : 晴れ


1st Album「A WILL
#6.Amazing ft.C.T、KENSHIN
Lyrics : JIRO-K、KENSHIN、C.T
Track : B.T.REO

「A WILL」の中で一番異色な曲がこの「Amazing」だよ。
 アルバムの中で一番アッパーな曲だね。

トラックは福生のクルー「嗚呼」のB.T REO。
KOOGIに紹介してもらいオファーを出して、何曲か
サンプルを聴いて一番クールなトラックを選んだんだ。

ブリブリに響く低音にやられてね、曲を聴いて最初に
思ったのが「Amazing!」。俺にとっては特別な言葉だ。
あえて説明はしないが俺のことをよく知る人間ならわかるだろう。

アルバムの中に「Amazing」ってタイトルの曲は
入れたかったから、このトラックで作ることにしたんだ。

客演もタイトルにふさわしい驚くメンツにしたかった。

まずはKENSHIN。
絡みは国士無双の1stアルバム「Dammmn」以来二度目。
そしてC.Tは初めて、文ちゃんに紹介してもらってオファーした。

二人には共通点があってね。

まずはMCとしてのキャリア。

俺は2007年から2011年まで「STOMP」、「BEAT BOXX」
(@渋谷 HARLEM)、「NYLON」(@渋谷 VUENOS TOKYO)
等のクラブでMCとして活動していたが日本のクラブイベントで
MCをやらせたらこの二人が間違いなくツートップだ。

年間100本以上ものクラブイベントのMCをこなしていたKENSHINに
渋谷HARLEMの土曜日を毎週長年に渡って盛り上げてきたC.T。
客の乗せ方、パーティーの盛り上げ方をわかってるんだ。

そして、ファッションリーダーとしての存在感。

KENSHINは自身で「VATLED」、「two face」等のオリジナル
ブランドを展開、セレクトショップ「UNDERLINE」の
プロデュース等アパレル分野でも精力的に動いていた。

一方、C.TはHIPHOPウエアのセレクトショップで常に
ナンバー1の座に君臨し続ける宇田川町の「Grow around」
の顔として今もなお店頭に立ち続けている。

クラブに行けばMCをやっていて、
雑誌を開けばファッションリーダー。
それぞれが「アイコン」として既に
キャラクターを確率している、そんな二人だ。

俺と同じ歳ってこともあって、この二人の
活躍は常に気になっていたよ。
もちろん、リスペクトしていた。

そしてこの二人、曲での共演は無かったようだから
まさにAmazingな客演が決まったってことさ。

レコーディングも対照的で面白かった。

C.Tはリリック、フローをきっちり作り込んできていて
リリック帳も読まず一発、二発くらいでレコーディングを
終えてたよ。

後にこの曲の話をBaseHeadsのGENちゃんにした時に
「C.Tはしっかり曲を覚えてきていてレコーディングが早い。
プロ意識を持っている。そうだったでしょ?」って言ってたな。

そしてKENSHINは、イメージしておいた言葉やパンチライン
なんかをレコーディング直前にリリックに起こしてフローを
作りながらレコーディングを繰り返し、完成させていた。

面白いレコーディングだったな。

フックはB.T REOやMAMUSHIに意見を聞きながら完成させたんだ。

三者三葉、それぞれの色が出せた曲に仕上がったと思うよ。

そんな六曲目、「Amazing ft.C.T、KENSHIN」

もう一つの「A WILL」#7へ続く。

Monday, November 12, 2012

もう一つの「A WILL」 #5.スーパーヒーロー ft.Hiro-a-key

Tokyo : 曇り時々雨



1st Album「A WILL
#5.スーパーヒーロー ft.Hiro-a-key
Lyrics : JIRO-K、Hiro-a-Key
Track : RUMCHOP

アルバムは最初13曲で構成されてたんだ。

曲順も決めてあったよ。ほぼ全ての作業が
終わってから、アルバムのリリースに向けてとある
先輩にデモを聴いてもらってアドバイスを受けたんだ。

「シンガーを入れた曲を一曲足しなよ。」

やっぱりか、と思ったよやっぱり。
 13曲の中の客演にはシンガーはいなかったんだ。

あえて入れてなかった訳じゃないけどあえて
入れないようにしていた訳でもなかった。

早くリリースしたかったけどじっくり考えてみて
新たに一曲シンガーを招いて作ることにした。

渋い曲にしたかったんだよね。
ジャジーな曲はどうか、とか色々話ながら
イメージをどんどん沸かせていったんだ。

シンガーの人選は全く迷いはなかったよ。
作るならこの人だって決めていた。

MIX CD「JIRRO MAN IN DA BUILDING!」に
収録されている「Good Life」って曲で絡んだ
ことのあるHiro-a-keyだ。

あの曲を作った時の感動は今でも忘れないよ。
ソウルフルでパワーのある歌声だった。

その曲でラップとトラックを作ったKoogi a.k.a
Rumchop、奴にトラックは頼もうと思った。
トラックの方も人選は全く迷わなかったね。

何を歌おうか。それは迷ったね。
ラブソングを書こうとは思わなかったけど。

考えてるうちに俺はアルバムを作って何に
りたいんだ? って思い出してね。その後は、
その後は...って。 で、最終的に思ったのが
「スーパーヒーローになりたい!」 という
なんとも壮大な話になったんだよね。

過去の曲でも「This way - Koogi ft.Jiro-K、烏龍」や
 「Mr.Incledible ft.Koogi」なんかで度々自分が
ヒーローになったようなリリックを書いてたんだ。

あー、俺は昔からヒーローになりたかったんだ!
って改めてと言うか初めて気がついたんだ。
と言っても世界を守るとか非現実的なもんじゃなくてね。

自分の身近な家族や仲間のヒーローになりたいんだ。
だったらそれを曲にしようということで
「スーパーヒーロー」の曲にした。

昔からヒーローもののテレビや漫画が大好きでね、
自分が境地の時はいつも自分が漫画やテレビに
出てくる ヒーローになった気持ちでいたよ。

そういう過去の自分の気持ちを心の中のファイルから
探し出してその時々の自分になってリリックに起こしたんだ。

バースを書き終えてプリプロを録ってからhiro君に
投げてフックを作ってもらったんだ。

実は最初に書いたリリックはhiro君に聴かせたけど
ボツになって丸々書き直したんだ。

「見えるもの全てが真実と思うなよ」

  Hiro君のフックのこのラインは大のお気に入りだよ。
俺の中のスーパーヒーローの一人さ。

アルバムの中で最後の最後にできた一番
フレッシュな 曲だったからね、アルバム発売前の
先行配信曲にしたんだ。

バナーとポスター、フライヤーは中学時代からの仲間、
画家の杉山振一朗にお願いしてアメコミ風の漫画を
描いてもらってね。

こういった形で古い仲間とコラボができたことは
最高に楽しかったね。15、16年前からこんなことを
一緒にやりたいっていつも話してたからね。
夢が一つ叶ったんだ。

俺の中のスーパーヒーロー、hiro-a-key、Rumchop、
杉山振一朗、そんな奴らに助けてもらって完成した曲。

 そんな五曲目、「スーパーヒーロー ft.Hiro-a-key」

もう一つの「A WILL」#6へ続く。


Wednesday, June 20, 2012

もう一つの「A WILL」 #4.Just Right Now

Tokyo : 台風


1st Album「A WILL
#4.Just Right Now
Lyrics : JIRO-K
Track : ARCH

国士無双のアルバムをリリースして1年くらいは
KOOGIのLIVEやアルバム客演させてもらったり、
他には主にクラブイベントのMCを中心に活動しててね。

実際、国士無双でずっとやっていこうと思ってたから
ソロで活動する気はあんまり無かったんだよね。

KOOGIのLIVEに参加してるうちに徐々にソロでLIVE
やってみようかな、となってきてArchのトラックから
選んで最初に作った曲が「TOKYO CITY」で次に作ったのが
「Just Right Now」なんだ。

流れ的に「今しかないな」という気持ちでソロLIVEに向けて
曲を書き出したからそのままの想いで「今」をテーマに書いたんだ。
これは何をやるにも腰が重い自分に向けた曲なんだ。

これは後にアルバムジャケットを手がけたKazに
教えてもらったことなんだが、常に「~をしたい」では無く
「~をする」と思うようにすると全がて叶うと。

確かに「~したい」って思っているだけだと結局、きっかけを待って
終わることが多いが「~する」と思うことで既にやりたいことが現実
に一歩近づいてるわけで、既に「~している」状態だってことだね。

思った時にはすぐ動き出すことが大事なんだ、ってところで
Kazが言ってたこととこの曲が伝えたいことは同じなんだ。
一歩踏み出しちゃえば、もうやるしかないんだから。

自分が何か壁にぶつかった時や、知らぬ間に腰が重くなってる時に
これを聴けば、、、って曲にしたかったんだ。もちろん、他の人にも
そういう状況の時に聴いたり、思い出したりしてもらえたら嬉しいね。

当時はArchと自宅スタジオを兼ねて共同生活してたからリリックを
書いてすぐにプリプロを録ったんだ。サビは元々作ったサビとは
半小説ずれているんだ。Archがミックスの際に移動させたサビの
声がずれて入ってて、それを聴いて二人でこっちの方がいいな、ってなったんだ。

偶然の産物だ。
いや、"今"動き出すことで産まれる必然だろう。

そんな四曲目、「Just Right Now」

もう一つの「A WILL」#5へ続く。

Monday, April 23, 2012

もう一つの「A WILL」 #3.2011年Rootsの旅

Tokyo : 曇りのち雨


1st Album「A WILL
#3.2011年Rootsの旅
Lyrics : JIRO-K
Track : RUMCHOP

自分の人生からHIPHOPのみを抜粋して出会いから今までを
綴ったんだ。一曲にまとめたから全部を書ききれてるわけ
じゃないけどね。

そもそもBlack Musicとの出会いは小学校二年生か三年生の頃かな。
初めて映画館で観た洋画「ロッキー4」でアポロの登場シーンで
「Live in the America」を歌っていたジェームス・ブラウンだ。

当時はカッコいいっていうよりうけるなこのオッサンってことで
友達とよく日本語の字幕で歌ってモノマネしていたのを思い出すね。

で、曲の話に戻ると中二でビースティのCDに衝撃を受けてってところ
から始まってるけど、そのままHIPHOPにどっぷり漬かったって
ことでは全然無くて、ラップを始めるに至るまでは色んな音楽を
聴いてきたね。

リリックの通り兄がいた影響で小・中学生の頃は兄のCD棚から
CDを選んでは聴き、そこから関連するアーティストを探したり
してたな。バンドブームの頃はブルーハーツやらジュンスカやら
一番聴いてたのはユニコーンだったな。

フリッパーズギターやコーネリアスも好きだった。

そしてビースティを聴くようになり高校生になり、
「さんぴんキャンプ」で一斉に周りが日本語ラップを
聴くようになるんだが、俺は全然聴かなかったんだ。

兄がいるとどうしてもませてしまうもので、と言うよりただのひね
くれ者だったからか流行ものはどうしても遠ざける性格だったんだ。

ひねくれるあまりよくわかったないのに友達の影響でテクノ聴いたり
ボアダムズ聴いたり、高校の後半はやはり兄の影響でハイスタに
ハマってコークヘッドやココバットとか、この辺から流行ってるの
流行ってないの関係なく聴くようになってRANCIDやNOFX、オフス
プリング etc...等聴きバンドやりてーなーってなるわけよ。

でも楽器できないし、ってところでヌンチャクとかバックドロップ
ボムなんていうミクスチャーバンドを知って「やべー、これだ!」
ってなってボーカルならできるじゃん!って思ったんだけどメンバー
も揃わず悶々と過ごす日々。

そんな時、高校の仲間の文平が檜垣って奴とラップやり始めたのよ。
その時の奴らの名前が「国士無双」。後に自分もその名前を名乗る
グループの原型ってやつだね。

卒パーで奴らのライブ観て「いいなー、うらやましいなー。」って
なって、文平にはその頃から誘われてたんだけどヒップホップ聴いて
きてないし、今更な~ってところでやんわり断ってたんだけど、まじ
究極の暇人だったし、バンドも組めないし、今からDJやダンスも
一からやるのも大変だしなんて悩みに悩んで、よし、やろうかな、
ってなったんだ。

丁度地元にもダンスやってたハルヤもいたし、高校一年の時一緒に
スケボーやってた幼なじみの豪もラップやってたから二人にCD借り
たり家行って「さんぴんキャンプ」のビデオ観せてもらったりしな
がら気付くとハマってたね。

大学入って文ちゃんにラップ教えてもらいながらターンテーブル
買って大学で知り合った亮一(後のDJ社長)にDJ教えてもらい
ながら学校サボってレコード買いに行く日々。

で、大学一年の9月とかだったかな?文ちゃんと組んだ「2ND
IMPACT」ってグループで町田フレーバーでラップデビュー
したんだ。19歳の時だね。フリースタイルも無我夢中でやったのを
今でも覚えてる。

ちなみに歴史を辿ると

【2ND IMPACT】
1998年、文ちゃんの受験なんかもあってすぐ活動休止。
DJは高校の後輩DJセコム or DJ RYOICHI(後のDJ社長)

【RECKRIMER】
98年、IMPACTの活動休止もあって大学の仲間、DJ OGAと
1MC+1DJで結成。この頃大学の仲間とNEW JACK CREWって
クルーも組んでたな。主に町田フレーバーや小作ネイティブ等で
ライブをやり始める。

【IMPACT】
99年、文ちゃん復帰で再結成。DJはOGAとRYO-ICHIで場面場面で
やってもらってた。この頃から高校時代からの連れのITAKO(後の
ZAKK)もラップを始めて平行して続けてたRECKRIMERで一緒に
曲作ったり街でフリースタイルバトルしたり行動を共にするように
なる。IMCACTでは「REAL PRODUCTION」ってとこに属して
アースリーパラダイスやエイジア等でライブをやり始める。

【JIRO-K】
2000年、それぞれ力をつけましょう、ってことでソロ活動に。
この頃池袋マダムカラスで月一イベント「BODY MOVIN'」開始。
当時高校生だったフランケンなんかもライブで出てたな。
俺はDJ RYO-ICHIと文ちゃんは高校の後輩スナッチャーとサスケを
従えてDJに文ちゃんとは中学からマイメンのARCH、と活動してた。
ITAKOは「ORIGINSHIP」ってクルーで活動してたな。

【国士無双】
2001年、「BODY MOVIN'」で集まったJIRO-K、DJ RYO-ICHI、BUN、
その連れのARCH、スナッチャー、サスケ、ORIGINSHIPを脱退した
ITAKO、DJ AXにITAKOの大学の後輩のGOKI(聡)で結成。DJ RYUMA
等も後から加入して最大で10人位のクルーでマダムカラスや渋谷
asia、ファミリーやNUTS、シムーン等で精力的にLIVE活動を行う。
その間メンバーの脱退等もあり2004年には残ったJIRO-K、BUN、
ITAKO、スナッチャー、DJ 社長で自主アルバム「Talkin' shit vol.0」
をリリース、この頃からBUNが渋谷シムーンでやっていた
「Holla Baby」を渋谷ハーレムに場所を移し国士無双とUNITEのLIVEを
中心に不定期で開催。その後、ハーレムの「STOMP」、「BEAT
BOXX」ブエノス「NYLON」等でクラブイベントのMC活動も
スタート。07年JIRO-K、BUN、ZAKK、DJ 社長でフルアルバム
「Still Talkin' shit」をリリース。

【JIRO-K】
国士無双アルバムリリース後、主にKOOGIのライブの客演等をやり
始めて08年辺りからソロ活動を本格的にスタート。池袋BED「URBAN
 CHAMPION」を拠点にライブ活動やMIX CD等への楽曲提供を開始。
で、続きはこのブログを最初から観てくれ。

と、いうROOTSの旅でした。

ちなみにこの曲のトラックは#2.Tokyo Weather Reportに続き
RUMCHOP。元々は別のトラックだったんだけど、サンプリングの
問題でその曲を弾き直してって形で新しいトラックになったん
だけど、これが大成功でアルバムの中でも人気の曲になったんだ。
FUJI-9のスクラッチもバッチリハマったね。

ちなみにタイトルは「2001年宇宙の旅」から引用。

そんな三曲目、「2011年ROOTSの旅」

もう一つの「A WILL」#4へ続く。

Monday, March 5, 2012

もう一つの「A WILL」 #2.TOKYO WEATHER REPORT

Tokyo : 曇りのち雨



1st Album「A WILL
#2.TOKYO WEATHER REPORT
Lyrics : JIRO-K
Track : RUMCHOP

1曲目の「A WILL」がアルバムのイントロと考えて
この曲が1曲目、本編スタートって感じだね。

この曲は元々J-KWONの「Tipsy」のインストを使って
ライブでやってた曲なんだ。書いたのは3年くらい前かな?

ある一日の朝目覚めてから夜眠るまでの物語だね。
朝起きてから何をして何を考えてっていう「日常」を
切り取ったんだ。

そして1週間、毎日同じような生活してても気分が違うだけで
見える世界が違って見えるってことをフックで表現したんだ。

3年くらい経ってリリック読み返しても今考えてることと
基本同じだったりしてブレてないんだよね。

リリックで「部屋じゃ誤った情報流すTV 音量は消音 いくら
ボリュームを上げようとも耳に届けぞ心には響かず」って
ラインがあるんだけど3.11以降この気持ちがより強くなったね。

強くなったというか耳にも届かなくなったかな。
戦後最大の惨事に誤った情報ばかりを発信し続けた
当時の政府を俺達は目の当たりにしてきたわけだからね。

そんな偶然も重なって、リリックは意外と共感できる
人も多いんじゃないかな。

そしてアルバム収録に伴ってトラックを制作することになった。
トラックメイカーはRumchop。ライブでサイドやってもらったり
してたから曲に対しての理解があったのとイメージを伝え易かった
のもあったね。

「Tipsy」がハマってたのもあって難しかっただろうけど見事に
曲のイメージにバッチリのトラックに仕上がったね。
無機質でスネアの音が淡々と響くような、けだるい感じ。

レコーディングも順調に各バーズ、2テイクくらいで
サクッと仕上げた感じだったかな。

最後にRumchopに目覚めから始まるってことで曲の頭に
目覚まし時計の音を入れてもらったんだ。いつも目覚ましじゃ
全然起きれないんだけどね。いつかFlava Flaveみたいに首から
大きな時計をぶら下げようかと思ってるよ。

とにかく頭に目覚まし時計の音が入ったのでこの曲が1曲目の
「A WILL」の後、アルバム本編スタートってのにぴったりだと
思ってこの曲を2曲目にしたんだ。

ちなみに曲のタイトルはJAZZのWEATHER REPORTって
よりはTalib Kweliの「NY WEATHER REPORT」からかな。
「じゃ俺はTOKYO WEATHER REPORTだ」ってかなり
安易な付け方で。

まぁ日記的な曲でもあったから後に始めたBlogの
タイトルにもこのタイトルを付けたんだ。

そんな二曲目。「TOKYO WEATHER REPORT」

もう一つの「A WILL」#3へ続く。

Wednesday, February 22, 2012

もう一つの「A WILL」 #1.A WILL

Tokyo : 晴れ



1st Album「A WILL
#1.A WILL
Lyrics : JIRO-K
Track : BEAT奉行

リード曲としてイントロの役割も兼ねてのアルバム一曲目。
本でいう「前書き」みたいな役割だね。

アルバム自体、「遺書」ってことで自分が死ぬのが
明日かもしれないし5年後かも知れないし50年後かも知れない
っていうのもあって色褪せない作品にしたかったんだ。
いつ聴いても新鮮な、時代や場所を問わないようなね。

この曲はその時にこれを耳にした人に話しかけてるような
作品にしたかった。俺は死んだけどそっちはどんなだ?ってね。

その人に「これから話す話は俺の日常だったり俺がいつも
思ってることだよ。」って二曲目以降への「振り」みたいな。
リリックに関してはそういったことを心がけて書いたんだ。

トラックはICE BAHNのトラックを数多く手がける等
横浜を代表するトラックメイカー、BEAT奉行。

KOOGIのアルバム「THE CUSTOM」でも、「Burner」、
「Ring feat. BES」等を手がけており、「A WILL」の
トラックもKOOGIのパソコンから聴いたのが初めてだった。

聴いてすぐに「アルバムの一曲目」だと思った。

使わないトラックということで即効キープ。
彼のトラックは大好きなDJ Premierに通じるループや
スネアが太くて弾く感じがビシビシ体に響いてドン
ピシャにハマったんだ。

レコーディングは当時のバーニーズ事務所3Fの
「ガラクタstudio」。エンジニアはマムシ。
ヴァースのみ書いていってフックは決めずに挑んだ。

なんとなくのイメージとしてJAY-ZのRoc Boys
みたいなサビにしようと思ってたんだ。

ヴァースを録り終えて、さてフックへ。
「ちょっと休んでてくれ。」って確か10分くらい
時間もらってタバコ吸いながら集中して書き終えたんだ。

できるだけシンプルに。って思って目をつぶり、スタジオ
から聴こえる自分が録ったばかりヴァースを聴きながら
集中したんだ。そしてもう一人の自分が言ったんだ。
「さぁ目をつぶりな、耳を澄ませな。」って。
集中するために自分に言い聞かせていたことがそのまま
フックになったんだ。

「そう、これが俺のRED X」

ばっちり一発録り。顔を見合わせてニンマリ
だったのをよく覚えてる。


2012年元旦深夜にYouTubeにてアップしたPV
「A WILL」はこちらも初絡みの「NO-Z」に依頼。
打ち合わせだけでもかなりの時間を費やして約二年前の
極寒の中撮影。

場所は埼玉県の蕨、そのNO-Zを紹介してくれた
小野さんの美容室「FREEDOM」とその屋上や近辺を中心に撮影。

こちらの美容室も先日場所を変え、リニューアルしてオープン。
今は亡き美容室の貴重な映像にもなってよかった。
映像も練りに練っただけあって文句無い作品になった。
カメラマン溪ちゃんのカメラワークとNO-Zの編集、中でも
紙飛行機とラストシーンは俺の無茶ぶりをよくも実現してくれた!

そんな一曲目。「A WILL」

もう一つの「A WILL」#2へ続く。