#3.2011年Rootsの旅
Lyrics : JIRO-K
Track : RUMCHOP
自分の人生からHIPHOPのみを抜粋して出会いから今までを
綴ったんだ。一曲にまとめたから全部を書ききれてるわけ
じゃないけどね。
そもそもBlack Musicとの出会いは小学校二年生か三年生の頃かな。
初めて映画館で観た洋画「ロッキー4」でアポロの登場シーンで
「Live in the America」を歌っていたジェームス・ブラウンだ。
当時はカッコいいっていうよりうけるなこのオッサンってことで
友達とよく日本語の字幕で歌ってモノマネしていたのを思い出すね。
で、曲の話に戻ると中二でビースティのCDに衝撃を受けてってところ
から始まってるけど、そのままHIPHOPにどっぷり漬かったって
ことでは全然無くて、ラップを始めるに至るまでは色んな音楽を
聴いてきたね。
リリックの通り兄がいた影響で小・中学生の頃は兄のCD棚から
CDを選んでは聴き、そこから関連するアーティストを探したり
してたな。バンドブームの頃はブルーハーツやらジュンスカやら
一番聴いてたのはユニコーンだったな。
フリッパーズギターやコーネリアスも好きだった。
そしてビースティを聴くようになり高校生になり、
「さんぴんキャンプ」で一斉に周りが日本語ラップを
聴くようになるんだが、俺は全然聴かなかったんだ。
兄がいるとどうしてもませてしまうもので、と言うよりただのひね
くれ者だったからか流行ものはどうしても遠ざける性格だったんだ。
ひねくれるあまりよくわかったないのに友達の影響でテクノ聴いたり
ボアダムズ聴いたり、高校の後半はやはり兄の影響でハイスタに
ハマってコークヘッドやココバットとか、この辺から流行ってるの
流行ってないの関係なく聴くようになってRANCIDやNOFX、オフス
プリング etc...等聴きバンドやりてーなーってなるわけよ。
でも楽器できないし、ってところでヌンチャクとかバックドロップ
ボムなんていうミクスチャーバンドを知って「やべー、これだ!」
ってなってボーカルならできるじゃん!って思ったんだけどメンバー
も揃わず悶々と過ごす日々。
そんな時、高校の仲間の文平が檜垣って奴とラップやり始めたのよ。
その時の奴らの名前が「国士無双」。後に自分もその名前を名乗る
グループの原型ってやつだね。
卒パーで奴らのライブ観て「いいなー、うらやましいなー。」って
なって、文平にはその頃から誘われてたんだけどヒップホップ聴いて
きてないし、今更な~ってところでやんわり断ってたんだけど、まじ
究極の暇人だったし、バンドも組めないし、今からDJやダンスも
一からやるのも大変だしなんて悩みに悩んで、よし、やろうかな、
ってなったんだ。
丁度地元にもダンスやってたハルヤもいたし、高校一年の時一緒に
スケボーやってた幼なじみの豪もラップやってたから二人にCD借り
たり家行って「さんぴんキャンプ」のビデオ観せてもらったりしな
がら気付くとハマってたね。
大学入って文ちゃんにラップ教えてもらいながらターンテーブル
買って大学で知り合った亮一(後のDJ社長)にDJ教えてもらい
ながら学校サボってレコード買いに行く日々。
で、大学一年の9月とかだったかな?文ちゃんと組んだ「2ND
IMPACT」ってグループで町田フレーバーでラップデビュー
したんだ。19歳の時だね。フリースタイルも無我夢中でやったのを
今でも覚えてる。
ちなみに歴史を辿ると
【2ND IMPACT】
1998年、文ちゃんの受験なんかもあってすぐ活動休止。
DJは高校の後輩DJセコム or DJ RYOICHI(後のDJ社長)
↓
【RECKRIMER】
98年、IMPACTの活動休止もあって大学の仲間、DJ OGAと
1MC+1DJで結成。この頃大学の仲間とNEW JACK CREWって
クルーも組んでたな。主に町田フレーバーや小作ネイティブ等で
ライブをやり始める。
↓
【IMPACT】
99年、文ちゃん復帰で再結成。DJはOGAとRYO-ICHIで場面場面で
やってもらってた。この頃から高校時代からの連れのITAKO(後の
ZAKK)もラップを始めて平行して続けてたRECKRIMERで一緒に
曲作ったり街でフリースタイルバトルしたり行動を共にするように
なる。IMCACTでは「REAL PRODUCTION」ってとこに属して
アースリーパラダイスやエイジア等でライブをやり始める。
↓
【JIRO-K】
2000年、それぞれ力をつけましょう、ってことでソロ活動に。
この頃池袋マダムカラスで月一イベント「BODY MOVIN'」開始。
当時高校生だったフランケンなんかもライブで出てたな。
俺はDJ RYO-ICHIと文ちゃんは高校の後輩スナッチャーとサスケを
従えてDJに文ちゃんとは中学からマイメンのARCH、と活動してた。
ITAKOは「ORIGINSHIP」ってクルーで活動してたな。
↓
【国士無双】
2001年、「BODY MOVIN'」で集まったJIRO-K、DJ RYO-ICHI、BUN、
その連れのARCH、スナッチャー、サスケ、ORIGINSHIPを脱退した
ITAKO、DJ AXにITAKOの大学の後輩のGOKI(聡)で結成。DJ RYUMA
等も後から加入して最大で10人位のクルーでマダムカラスや渋谷
asia、ファミリーやNUTS、シムーン等で精力的にLIVE活動を行う。
その間メンバーの脱退等もあり2004年には残ったJIRO-K、BUN、
ITAKO、スナッチャー、DJ 社長で自主アルバム「Talkin' shit vol.0」
をリリース、この頃からBUNが渋谷シムーンでやっていた
「Holla Baby」を渋谷ハーレムに場所を移し国士無双とUNITEのLIVEを
中心に不定期で開催。その後、ハーレムの「STOMP」、「BEAT
BOXX」ブエノス「NYLON」等でクラブイベントのMC活動も
スタート。07年JIRO-K、BUN、ZAKK、DJ 社長でフルアルバム
「Still Talkin' shit」をリリース。
↓
【JIRO-K】
国士無双アルバムリリース後、主にKOOGIのライブの客演等をやり
始めて08年辺りからソロ活動を本格的にスタート。池袋BED「URBAN
CHAMPION」を拠点にライブ活動やMIX CD等への楽曲提供を開始。
で、続きはこのブログを最初から観てくれ。
と、いうROOTSの旅でした。
ちなみにこの曲のトラックは#2.Tokyo Weather Reportに続き
RUMCHOP。元々は別のトラックだったんだけど、サンプリングの
問題でその曲を弾き直してって形で新しいトラックになったん
だけど、これが大成功でアルバムの中でも人気の曲になったんだ。
FUJI-9のスクラッチもバッチリハマったね。
ちなみにタイトルは「2001年宇宙の旅」から引用。
そんな三曲目、「2011年ROOTSの旅」
もう一つの「A WILL」#4へ続く。
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